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『若きイノベータ―の挑戦』 変革をもたらす次世代リーダーを紹介

半農半療法士の挑戦。“絆”をもって「その人らしく生きる」共生社会を創造

左)中川征士

中川 征士

半農半療法士
Facebookpage https://www.facebook.com/hannouhanryouhoushi
 
▼半農半療法士
中川は半農半療法士である。

“?”と思われる人が大半であると思うがそれも当然だ。そのような資格は存在しない。彼は理学療法士であるが、そもそもその資格名称がいったいどのような意味を持っているのか、、彼と話をするとそのように考えさせられてならない。

確かに専門性を明確に伝える為には保有資格名称は必要なのだろうが、ケアを受ける人たちの大半はその言葉に馴染みがなく、理解し難いものなのではないだろうか。それならばよっぽど半農半療法士の方が親しみやすく興味を喚起させられる。

理学療法士とは、病院や介護施設、居宅訪問等をおこない、身体に障害のある人に対して基本的動作能力の回復を図るため動作訓練や助言等を施す仕事である。

中川も大学卒業後、はじめは大阪府の病院に勤め現在はフリーで半農半療法士の活動をしている。言葉のとおり、半分は農業をおこない、半分は理学療法士の活動をしている。ただ誤解がないように伝えると農業で生計を立てている訳ではなく、彼が実現したい“共生社会の創造”の為に、農業を“つながり”をつくる為の一つの手段にしているのである。

 

▼共生社会の第一歩。“つながり” そして “絆” の形成
まず初めに取り組んだのは、地域にはどこにでもある放置耕作地を借り受けて開墾を始めた。農業経験のない中川は、地域住民の協力を仰ぎながらおこなうことになる。悪戦苦闘をしていると挨拶を重ねていた農業知識のある高齢者が一人また一人と声をかけてくれるようになり、そこに近所づき合いも生まれ、今では子供達や周辺に住む様々な人達が集うサロンとなり、ちょっとしたコミュニティが形成されている。

なぜ“農業”であったのか、それが“絆”づくりには最適であると考えたからに他ならない。これに至るまでに中川は、先進国である北欧の福祉、障害者の歴史、様々なまちづくりを学んだ。そして辿り着いたのが“顔がみえる共同作業である農業”であり、そしてまた中川の対面にいるケアを必要とする高齢者が支えているのも農業であったのだ。

「畑にすることで足を運びやすくなる、集まると自然と会話も生まれる」との事だ。人が集まるようになるとネットワークが生まれ、自然と情報は拡散する。街の一画の放置耕作地での取り組みは、商店街から町、市全体そして県行政に拡がり、今では全国多方面からその取り組みが注視されるようになってきている。


なぜ中川の取り組みがこれほど注視され始めているかというと、日本か抱える大きな社会問題が故である。日本は超高齢社会である。現在4人に1人が65歳以上であり、10年後には3人に1人になると推定されている。地域社会だけを捉えるとその数字はさらに増し、地域社会は高齢者社会といっても過言ではない。

そうなってくると医療介護の問題は大きくなる一方であるが、今や財源不足の日本においては、医療介護を支える国の社会保障制度自体の雲行きもあやしくなってきており、医療介護問題は地方自治体に委ねられ、結果、各地域の自立が必要になってくる。

「地域の自立とは?」の答えが中川の取り組みにあるのだろう。中川の活動は、交流よりコミュニティを形成し“つながり”を創り上げていることのみならず、その“つながり”を通して、個々の“医療介護等のリテラシー向上”を図り、さらに強固な“絆”を形成していることが本質となっている。

中川は、“農”を通しての活動で様々なコミュニティの形成だけではなく、自ら精力的に公共施設や教育施設、飲食店等など様々な場所に赴き人とつながり、医療や健康介護予防、リハビリテーションの話をしている。そして非常勤として様々な地域の診療所にも籍を置き、地域住民をサポートしている。

 

地元図書館でおこなっている“暮らしの保健室”と呼ばれる医療や介護、ちょっとした健康相談等ができる集会も運営している。健康意識の高い人は知識が豊富であったり、何かあった際はかかりつけ医がいる病院へいくが、本来、健康介護予防に気を配ってもらいたい人々は逆に健康意識が低かったりするとの事である。こういった人々に情報が届きやすく参加しやすい場所を考えて、中川は行動している。これまでの約半年の間に、30コミュニティで450名を超える高齢者と対話しているそうだ。

そして健康予防教室等の会を開く際にも“分かり易く伝える”ことを心がけているとの事である。知識はつながりを通して拡がり、そして知識は理解を生み、周囲への気配りや尊重を生む“絆”となる。これこそが中川が考える“共生社会”なのであろう。

「日常の生活環境の中で、やんわり見守りあうつながりをつくりたい。」との事だ。そしてこのようにも言っている。「人生50年から、人生80年に変わっていることに気がついていない人も多い。65歳までは社会制度の中で生活できるが、その後の人生についてはあまり考えていない方が多い。」

「生活についての不安は抱えているが、あまり家族と対話ができていない方も多い。まずは人生80年であることに気づいてもらい、どのように生きていきたいかを一緒に考えていきたい。そしてお年寄り自身が自ら動く機会や場所、役割を一緒につくっていきたい。」

現在、中川と一緒に活動しているのは十数名、ボランティアを含めると約20名で活動している。半農半療法士をやるために移住してきた人もいるそうだ。現在は、行政や企業協賛も得ながら活動範囲を広げている。今後の活動も楽しみでならない。


▼今後のキャリアビジョン

「高齢者も障害者も、自分らしく暮らしていける“まち”を創っていきたい。その為には、医療機関や高齢者施設だけを考えてしまうと限界があり、様々な民間事業会社や公共施設、行政を巻き込んで本当の意味での豊かな生活をおくれる“まちづくり”をおこないたい。」「その為にも、色々な事を学び、何の規制・柵もないフリーである今の立場を活かした自分らしい活動をどんどんやっていきたい。」

―日本の次代を担う、若者である。